<書評>レナ・ドミネリ著『フェミニスト・ソ-シャルワ-ク:福祉国家・グロ-バリゼ-ション・脱専門職主義』 | 特定非営利活動法人ウイメンズ・ボイス

お問い合わせはこちらから

MENU

会員の声

<書評>レナ・ドミネリ著『フェミニスト・ソ-シャルワ-ク:福祉国家・グロ-バリゼ-ション・脱専門職主義』

2017.10.30 UPDATE

<書評>レナ・ドミネリ著『フェミニスト・ソ-シャルワ-ク:福祉国家・グロ-バリゼ-ション・脱専門職主義』(翻訳:須藤八千代)明石書店、2015年7月出版

1.社会福祉におけるフェミニスト研究の動向
 本書は、レナ・ドミネリの「Feminist Social Work Theory and Practice」(2002年)の全訳である。ドミネリは既に1989年に、エリ-ン・マクリ-ドと共著で「Feminist Social Work 」を出版しているが、その後の進展や新たな課題を書き加えた、フェミニスト・ソ-シャルワ-クの総まとめといったものが本書である。しかし本書のタイトル「フェミニスト・ソ-シャルワ-ク」という言葉は、残念ながら多くの人にとってなじみのない言葉に違いない。まずは、本書の内容に触れる前に、「フェミニスト・ソ-シャルワ-ク」が提唱されるようになった経過と、それを包含する社会福祉におけるフェミニスト研究の動向について言及しておこう。
 今日欧米では、社会福祉領域におけるフェミニスト研究はきわめて隆盛であり、「花盛り」といってもいいだろう注1)。このような表現は、多分、本誌の読者にとって奇異に聞こえるに違いない。日本においては、社会福祉とフェミニズムの関わりはきわめて遅れて出発した、というのは常に評者が批判していることであり、1990年代の後半になってやっとその取り組みが散見されるようになったにすぎず、今日においても「花盛り」状況でないことは明らかである。欧米で「花盛り」となった理由としては、ひとつには1990年代からエスピン・アンデルセンによる福祉国家類型論が登場して、彼の類型論に触発されたかたちで発展した、フェミニスト研究者たちによる福祉国家研究への批判があったからである。もうひとつはそれに先だって、1960年代に起こった女性解放運動を契機として、社会福祉の再検討が行われてきたからである。
 フェミニズムによる社会福祉の再検討とは、その経過を見ても現在でも、以下のような三つの方向から行われてきたとまとめることができるだろう(注2)。
①(職業としての)社会福祉のなかの「セクシズム」批判
②ソーシャルワーク実践技術への取り込み
③福祉国家のなかの「セクシズム」批判
 三つの方向のうち、①と②は1970年代から出現したが、③はその後、フェミニズムからの福祉国家批判が行われるようになる1990年代に入ってから登場した。その三方向(方法)のなかの②が、本書が取り上げている「フェミニスト・ソ-シャルワ-ク」の試みである。ソーシャルワークやグループワークの実践にフェミニズムの方法を取り入れるという試みがそれである。

2.本書の内容と特徴
 欧米における「花盛り」の状況下で多くのフェミニスト研究の著書が出版されたが、本書の原本はその主要な1冊である。イギリスの研究者であるドミネリは、現在の活況を牽引しているフェミニスト研究者のうちの一人である。ヨ-ロッパにおける同時代のフェミニスト研究者としては、同じくイギリスのジェ-ン・ルイス、マリ-・デイリ-、スウエ-デンの ダイアン・サインスベリ-をあげることができるが、彼女らと肩を並べる研究者である。
 フェミニスト・ソ-シャルワ-クの理論と実践とは、男性の経験が全般的に支配しているソ-シャルワ-ク理論に意義申したてをして、男性とは異なる女性の経験の実態に光をあてること、従来女性特有の問題とは認識されなかった問題を女性固有の問題として取り扱うという新しい実践の方法を探ろうとするものである。すでに研究が先行している心理学や精神分析の方法を使うことにより、女性の意識覚醒をうながし、女性の自助グループつくりを目指すフェミニスト・ソーシャルワークの構築が進められた。近年になると、より専門化した分野別での実践が始められている。それは、女性に関する問題のなかでも、今までほとんど取り上げなかった問題を取りあげるようになったことである。暴力、アルコ-ル・薬物依存、ホ-ムレス、人種的マイノリティ-等がそれである。本書のなかでドミネリは、フェミニスト・ソ-シャルワ-クが取り組むべき新たなテ-マとして、「新しい生殖技術」をあげている。
 フェミニスト・ソ-シャルワ-クの実践の原則をドミネリは列挙しているが、紙幅の関係から代表的なものだけをあげておこう。1)女性の多様性を認識する、2)女性の力を尊重する、3)女性は自分の人生のどんな局面においても、自分自身で決める力を持つ行動的な主体であると考える、4)一人ひとりの女性を社会状況のなかに置き、個人と彼らが関係する集団との相互のつながりを認める、5)女性に彼女たち独自のニ-ズや問題解決の声を発する場を提供する、6)「個人的なことは政治的である」という原則は、実践のマクロ、メゾ、ミクロのそれぞれのレベルに関係することを認識する・・・等々である。
本書の構成は、「序章 21世紀の社会とフェミニスト・ソ-シャルワ-ク」、1章「フェミニストソ-シャルワ-ク実践の理論」、2章「フェミニスト・ソ-シャルワ-クを取り巻く状況」、3章「専門職の再構築」という前半の理論的な章の後に、4章「男性に関わる」、5章「子供と家族に関わる」、6章「高齢者に関わる」、7章「犯罪者に関わる」、という実践的な各章を設けている。ゆえに本書は、フェミニスト・ソ-シャルワ-クという言葉になじみのない読者にとっても、わかりやすい実践的な案内書となっている。付け加えるならば本書の翻訳者の須藤八千代(愛知県立大学名誉教授)は、日本におけるソ-シャルワ-クのフェミニスト実践の理論と実践におけるパイオニアであり、まさに本書は適切な翻訳者を得たといえるだろう。

3.日本のソ-シャルワ-クの課題について
 欧米におけるフェミニスト研究の「花盛り」は、なぜ日本の社会福祉に反映されなかったのだろうか?日本においてもエスピン・アンデルセンの福祉レジ-ム論は多くの研究者によって紹介され、それへのフェミニストの批判もいくつかは紹介されている。しかし、それらは後追いの紹介に限定されている。その最大の理由は、翻訳が出版されなかったからである。何しろ議論のおおもととなったエスピン・アンデルセンの1990年の著作The Three Worlds of Welfare Capitalism.ですら、日本で翻訳出版されたのが2001年になってからである(『福祉資本主義の3つの世界ー比較福祉国家の理論と動態ー』(岡沢憲芙、宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房)。もちろん、1990年代に出版された多くの優れたフェミニスト研究者の著作や論文のほとんどは翻訳されていない。評者が、本書の翻訳出版を高く評価する理由はここにもある。翻訳が出なければ、「花盛り」の状況は日本に伝わりようもないのだ。翻訳書が売れにくいという出版界の事情もあるだろうが、研究者は翻訳を出すこと、そのための努力をすべきなのである。
 翻訳に加えて、もうひとつの課題を指摘しておきたい。エスピン・アンデルセンが提起した議論が発端となって日本においても社会福祉のフェミニスト研究が注目されるようにはなったが、その関心領域は、福祉国家論や類型論に集中している。一方で、欧米において積年の研究が継続されてきたその他の分野におけるフェミニスト研究-職業としてのソ-シャルワ-クや社会福祉教育のなかの「セクシズム」、フェミニスト・ソ-シャルワ-クといった技術の発展について等-は、依然日本では取り上げられることがまれである。福祉国家論という「主要な問題」だけではなく、そこから派生して社会に構造的に埋め込まれた問題や、ソ-シャルワ-クという職業や教育のなかに存在する性差別等、女性が抱える生活上の諸問題も同様に関心を持つべき社会福祉の「主要な問題」なのである。社会福祉におけるフェミニスト研究の分野がさらに広がり、拓かれることが必要なのである。
           

1)フェミニスト研究の日米の差については、メリ-・デイリ-、キャサリン・レイク著(杉本貴代栄監訳『ジェンダ-と福祉国家:欧米におけるケア・労働・福祉』(ミネルヴァ書房、2009年2月)のあとがきを参照のこと。
2)社会福祉のフェミニスト研究の経過については、杉本貴代栄『社会福祉とフェミニズム』(勁草書房 1993年)を参照のこと。

<「中部社会福祉学研究第7号」2016年3月発行>