中村仁一著『大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ』
2015.04.11 UPDATE
よろず屋代表 伊里タミ子
本書は『大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ』という刺激的なタイトルで40万部超売れている。中村仁一氏は超高齢社会における終活、とくに過剰な治療ではなく、自然死を提案している。
中村仁一氏は1940年長野県生まれ、京都大学医学部卒業、財団法人高雄病院医院長、理事長を経て2000年2月より社会福祉法人老人ホ-ム「同和園」付属診療所所長、現職である。一方、「同治医学研究所」を設立、有料で「生き方相談」「健康相談」を行っている。1996年4月より、市民グル-プ「自分の死を考える集い」を主宰し、2011年9月で16年目になる。主な著書に『老いと死から逃げない生き方』『幸せな臨終「医者」の手にかかって死なない死に方』がある。個々人の死に対する考え方は年齢と体験によって違う。もちろん生病老死は、コントロ-ルできるものではない。それでも死の「質」を高めることは可能であると思われる。本人と家族が最期の時間をより良く過ごせるよう支援するヒントが本書の目的である。
本書の構成・内容
まず本書の構成と内容を記そう。著者は老人ホ-ム勤務医として12年目に入り、年寄りに最後まで点滴注射や、酸素吸入も一切しない「自然死」を数百例も見せてもらえる得難いたい経験をしている。その経験から「年寄りは、どこか具合の悪いのが正常であり、あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽な生き方の王道である」と述べている。
第1章では、医療に対してありがちな思い込みをまとめて書かれている。
著者の「医療の鉄則」として①死にゆく自然の過程を邪魔しない。②死にゆく人間に、無用の苦痛を与えてはならない。
日本人の医療に対する期待には凄いものがある。しかし、本人に治せないものを、他人である医者に治せるはずがない。ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかる。医者は脇役で、お手伝いするお助けマン、薬はお助け物資、機器はお助けマシ-ンというわけである。著者の好きな学説に、「治癒の根本は、自然治癒力を助長し、強化することにある」がある。死にゆく人間には、無理やり飲ませたり食べさせたりせず、穏やかな“自然死”コ-スに乗せてやるのが本当に思いやりのあるいい“看取り”のはずである、と記せられている。
第2章・3章を通しては、周囲に死に行く姿を見せるのが、生まれた人間の最後のお勤めと考える。年寄りの老衰死は、自然の営みであるから、そんなに過酷ではない、痛みや苦しみもなく、不安や恐怖やさみしさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することだ。つらくても「死ぬべき時期」にきちんと死なせてやるのが、”家族の愛情”というものである。年寄りはできるだけ家族に負担をかけないためには、自分のことは精一杯自分で行い「自然に死ぬとは、どう結うものか」を周囲に示すことが年寄の最後のお勤めを果たすことであると言及している。
著者は、死ぬのは「がん」に限ると考えている。ただし、治療せずに。理由として比較的最後まで意識鮮明で意思表示可能な「がん」は、近い未来確実に執行日を約束してくれる。そのため身辺整理ができ、お世話になった人たちにもお礼やお別れができる得難い死に方である。「がん」は死ぬまで時間がかかる。もう治らない、と解ってから、死ぬ支度ができるということである。死に仕度なんて言うのは、なかなか上首尾にいくものではない。「がん」はあの世からの、お迎えの使者である。いずれにしても「老」「病」「死」は自分で引き受けるしかない。平素より「備え」が肝心、忘れないように心掛けることを提案している。
第4章では、「自分の死」を考えるのは、「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えるということである。すなわち、いのちの有限性を自覚することで、「今、こんな生き方をしているが、これでいいのか」と現在までの生活の点検や生き方のチエックをし、もし「いいとはいえない」というのなら、軌道修正をその都度していくということである。死を見据えて生き方をチエックしながら人生を歩めば命が終わる瞬間、「いろいろあったけれど、悪い人生ではなかった」と思え、親しい周囲の人たちに永遠の別れに対して感謝することができ、後悔することが少なくて済む。近親者の死から「死生観」について触れている。
第5章は、長寿社会といわれているが、いいことばかりではない。弱ってもなかなか死なせてもらえない長寿地獄社会でもある。現在の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を嫌って認めようとはせず、発達したといわれる近代医療に過度の期待を持ち、「老い」を「病」にすりかえる。なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えている。一方、「病」には、回復の可能性があるからだ。医療には、若返らせることもできず、死ぬことも妨げないという「限界」がある。今後どんなに医療が発達しようとも、“老いて死ぬ”という大枠は、どうすることもできない。大事なことは「今」なのである。今の生き方、今の周囲へのかかわり方、今の医療の利用の仕方が、死の場面に反映される。と特筆している。
終章では、著者の自伝をまとめている。著者は1940年、長野県の善光寺平の南端にある人口1000人の寒村に生まれた。親父は高校2年の時心筋梗塞で亡くなった。親父はあわてず、騒がず、死は自分に与えられた固有の出来事として、毅然と受け止めた。(p、142)親父の「死にっぷり」は「死生観」に多大の影響を受け医学部進学を決めた。1984年強烈な不整脈に見舞われる。生きていくためのよりどころが必要になり、仏教にのめりこむ。一方病院では、完治のない生活習慣病に苦しんでいる年寄りに少しでも楽に生きてもらう助けにしたいと考えて、月1回の病院法話を実施、そして、「死」を忘れている社会の更生のために1996年4月には「自分の死を考える集い」を発足した。60歳になり、病院の理事長を辞し、今の老人ホ-ム「同和園」に勤めながら「自分史」をまとめた。
本書は寿命のきた年寄りにおける過剰医療、人口延命に対する批判と、老人ホ-ムというところから見る老衰死や自然死は痛みが少なく穏やかな死が迎えられ、終末医療の無用論をとなえる興味深い提言がなされている。しかし、本評ではあえて問題点を取り上げることを試みた。
本書の問題点
まず、タイトルについてである。『大往生したけりゃ医療とかかわるな』より「自然死のすすめ」とか「年寄りに野生の死を」「年寄りの死生観」のほうが内容に沿っていると考える。多くの年寄りはピンピンコロリと死にたいと念じている。年寄りには,おおむね興味深い本である。しかし、本書を読んで「病気を放置して医療を遠ざければ大往生できる」と思われる人がいるのではないか。まだ社会や家庭の中で果たす役割が残っている人には、本書の内容をうのみにして行動をとった場合「選択を誤ったかな」と思う結果になる可能性がある。「大往生」事態は定義が曖昧で、ある程度まで生きてポックリ逝くとか、また、年を重ねてすべてに満足のいく死に方を「大往生」だといろいろの説がある。本書は「自然死」はいわゆる「餓死」ですが…(P,49)と記している。『広辞林』では「自然死」とは寿命が終わったために死ぬこと。外傷、病気などのためでなく、自然に死ぬこと。「餓死」とは飢えて死ぬことと記されている。83歳の小説家木谷恭介氏体験記録『死にたい老人』では、もう十分生きた。あとは静かに死にたい。老いて身体の自由が利かなくなり、あらゆる欲望がうせ、余生に絶望した。そして、緩やかに自死する「断食安楽死」を決意。すぐに開始するが行動意欲減退、異常な頭痛や口中の渇きにも襲われ、Xデ-の到来を予感する。一方で、テレビのグルメ番組を見て食欲に悩まされ、突然の東日本大震災のニュ-スに「断食」よりも興味は高まった。胃痛に耐えられず病院に行く。終には、強烈な死への恐怖がおそった。木谷氏は52日間の断食を実行するも自死に失敗した。もし死んでいれば餓死である。人間はおいしいものが食べたい、少しでも長生きしたいというのが人情である。評者は、人間は死という事態の前では取り乱し、恐怖を感じることは自然なことだと考える。自然死とは病気や加齢によって体力低下「生活習慣病」になること自体正常なこと。年をとってもピンピンしているほうが異常といってよい。年老いてはガタガタの体が自然である。
長生きになったといえどもみんなが幸せになったと喜べるものではない。老後の人生とは、ガタが来た体を抱えながら死の影におびえ続ける長い不安な日々のなかで、目ざめていても半分は眠ったようなもので、やることがない、動けない、疲れない、眠れない。このような時間と付き合いながら早くお迎えが来てほしいと心の中で念仏を唱えている。
1956年に発表された深沢七郎氏の『楢山節考』、その38年後に書かれた村田清子氏の『蕨野行』は姥捨てを取り上げたものがある。飢饉に備えて口減らしから老人を捨てられる姥捨伝説は我が国の民話や小説になっている。年寄りは子・孫を思う気持ちは今も昔も大きく様変わりしていない。年寄りは次世代に幸せの暮らしがつながることを願っている。年寄りは家族に負担をかけないためにも意識がはっきりしているうちに「医療死」ではなく「自然死」を望むこと等の事前指示を提唱する。
まとめ
日本は超高齢社会に入っている。超高齢社会に対してよい解決策を生み出すためにも、いろいろな角度から眺めてみる必要がある。現代は少ない若者で多くの高齢者を支えていかねばならない時代になった。支えられる側の高齢者も大きな問題を抱えている。衰えた体を抱えながら年金は大丈夫か、若者に迷惑をかけたくない等々長生きになった分悩みの種も多くなり不安の日々も長くなった。ついこの間まで人生50年だった。それがいまや85年。戦後70年間で寿命が35年も延びている。寿命が延びたのは、安定した食料供給、安全で清潔、頼れる医療で長寿社会になった。これは現代文明が作り出した人工的な寿命である。しかし、各人の寿命はここまでとは決まっていない。高齢期をどう生きればよいのか、認知症になったらどうするのか、どう死にたいのか、といった高齢の生き方に、真剣に考え準備しておかなければならない。野生では自分で餌を取ることができなくなれば死を意味する。ところが病院での死は、点滴をして人口呼吸器をつけ、食物もチュ-ブで注入した状況下のどこかで死を考えようとしている。戦後、人の死を病院で迎えることが多く生の意味が見えにくくなってしまった。今、医学もおおいに迷っているのではないか、巨大な費用をかけて、死ぬべき人間を死なさずに何日も生かしておくことが、はたして本当に医学の勝利なのだろうかという反省が、医学者側から出てきた。穏やかに死んでいくことに導くのも、医学の使命ではなかろうか。死を迎える環境整備が必要である。現在は80%以上の人が病院で死ぬが、実際には60%以上の人が病院よりも自宅での死を望んでいる。だったら在宅医療を充実させ、老老世帯でも独居世帯でも安心して受けられる在宅医療の整備が必要である。国は2012年を在宅医療元年として、全国に150ヶ所の拠点を決め在宅医療推進に取り組みが始まった。普及には周辺住民の理解や病院や施設理解や協力など必要である。介護について本人はもちろん家族も苦しみがついて回る。不要な延命治療の是非を考えなければならない。末期医療は周囲の者の満足のためになってはいけない。家族は死を目の前にして少しでも長く生きしてほしいと願いがある。だが、年寄がどのような形で生きるのが幸せかというQOLが抜け落ちないようにしなければならない。延命医療はせず、周囲のほどよい手助けを受けながら普段通りの暮らしの中で穏やかな看取りを実現し安心して住み慣れたところで終末期を過ごすことが、満足な死を迎えることにつながる。最善の生き方、死にかたである。本書は生老病死について興味深い提言がなされ、死生観について多くのことを考えさせられる作品である。
参考文献
- 奥野修司『満足死』講談社2007年2月
- 木谷恭介『死にたい老人』幻冬舎2011年9月
- 福田和也『死ぬことを学ぶ』新潮社2012年2月
- 深沢七郎『楢山節考』開板中央公論者1956年2月
- 村田喜代子『蕨野行』文藝春秋1994年4月