<書評>イエスタ・エスピン=アンデルセン著『平等と効率の福祉革命-新しい女性の役割』
2017.10.30 UPDATE
<書評>イエスタ・エスピン=アンデルセン著『平等と効率の福祉革命-新しい女性の役割』(大沢真理監訳、岩波書店、2011年) 杉本 貴代栄
1.はじめに
本書は、ここ20年ほどにわたって、福祉国家研究において最も影響を与えた研究者の一人である、イエスタ・エスピン=アンデルセンが2009年に発表した著作 The Incomplete Revolution:Adapting to Women’s New Roles,(Polity Press)の全訳である。実は本原本の翻訳に関しては、2009年の9月に、評者もミネルヴァ書房を通して翻訳権の取得を申請した経過がある。評者はそれと同時期に、フェミニスト研究者であるメリ-・デイリ-とキャサリン・レイクが出版した、Gender and the Welfare State:Care,Work and Welfare in Europe and the USA(Polity Press、2003)を翻訳出版したのだが(杉本貴代栄監訳『ジェンダ-と福祉国家:欧米におけるケア・労働・福祉』ミネルヴァ書房、2009年)、同書はここで取り上げるエスピン=アンデルセンの本書につながる著作であった。同書は、ジェンダ-と福祉国家の関係を、ケア、仕事、福祉という3つのレンズを通して分析したものであり、具体的には、アメリカとヨ-ロッパの7カ国-フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、オランダ、スウエ-デン、イギリス-の計8カ国を取り上げて、入手できる最新のデ-タを使用して比較検討したものであった。エスピン=アンデルセンの原本を一読し、是非翻訳したいと評者からミネルヴァ書房に申し入れ、翻訳権の取得に入札(?)してもらったという経緯があった。数社の出版社が翻訳権の獲得に名乗りを上げたと聞いている。残念ながら評者は翻訳権を獲得できなかったのだが、本書の翻訳出版を心から待ち望んでいた一人であることは間違いない。本書の書評を行う、多少なりとも「権利」があるのではないだろうか。
本書の主要な議論は、女性の役割の革命は進行しているがそれは未完であり、そうした未完の革命は重大な社会的不均衡を伴いがちである。その不均衡を解消するためには、女性の役割の革命に対して福祉国家を適応させることが欠かせない-よりジェンダ-平等主義的な福祉国家が必要である、ことである。このようなエスピン=アンデルセンの提唱は、何も目新しいことではない。本書に先立って翻訳出版された『アンデルセン、福祉を語る』(2008年)のなかでも同様なことが主張されている。しかし同書は、エスピン=アンデルセンがフランスの一般読者向けに書き下ろした啓蒙書であり、本書の方が多くの資料やデ-タを駆使して説明を行っていて、より詳細にその主張を理解することができる。まずは、目次に沿って内容を紹介しよう。
2.本書の内容
第1章 「女性の役割の革命と家族」では、革命がいかに進行しているかを先行研究や豊富なデ-タを駆使して証明する。本書は「あとがき」にもあるように、革命が最も進んでいる社会を分析の対象とするため、実証的研究の対象を北アメリカと北欧においており、特にそれらの国におけるデ-タが使用される。それらのデ-タから、結婚することや親になること、働くことに関する男女の決定がいかに変化したかを検証する。戦後の20-30年だけでなく長期的なデ-タを使用しているが、その転換期はベビ-ブ-ム世代に集中している。結果として女性たちは全般的に、そして高学歴女性は特に、出産によって就業を中断することが少なくなり、中断期間も短くなった。また、結婚したらほどなく出産するという習慣は、それ以外のさまざまなライフコ-スに取って代わられた。同棲や結婚外といった生き方が急増したのだ。こんにち、出産のタイミングや子どもの数に関する決断と主に関連するのは、夫ではなく、女性自身の特徴、即ち彼女のキャリアの進捗状況や稼得、職務特性などであり、家族に優しい福祉国家の存在である。これらすべてから、単一の要因としては最も良く低出生率を説明するのは、根強いジェンダ-不平等である。つまり、ジェンダ-平等度が高いと出生率も高いというプラスの相関がある。また、誰と結婚するかに関する決断も、明らかに変化した。パ-トナ-シップは、ますます教育に関して、選好や趣味に関して、同類婚になっている。この傾向は、高学歴の人の間で特に顕著である。
女性の役割の革命は進行しているけれども、高学歴の中流階級の女性から始まるという、明らかに階層化された方法で展開している。この革命は学歴の階段の下方までは未だ浸透していない。女性の革命の完成が近いかどうかは、より教育年数が短い女性が、または教育年数が短い男性と結婚している女性が、どのくらい高学歴グル-プの後に続くかに依っている。
第2章「新しい不平等」では、ジェンダ-平等化が未完で階層化されている場合、それが逆説的に社会の不平等を助長することを明らかにする。女性の役割の革命と知識経済の成熟は、経済的富と社会的革新を生み出すことに寄与するが、それらはまた新しい社会的リスクと不平等をも引き起こすからである。1)所得の不平等が高まること、2)就業者が多い世帯と少ない世帯とに2極化すること、3)シングルマザ-のように伝統的に脆弱なグル-プでリスクが高まること、により不平等が拡大する。不平等が高まると、その影響は今日の生活水準の分布のみならず、後に続く世代にも及ぶ。家族間の所得が不平等であるほど、子どもに対する親の投資もより不平等になる。このような状況は、次のような変化により一層促進される。1)離婚のパタ-ンが階層化していること(高所得層でも離婚はがあるが、低所得カップルの方に離婚が多いこと、離婚とシングルマザ-になることが、教育年数の短い人々に偏っていること)、2)結婚における選別のパタ-ンの変化(伝統的な男性の上昇婚モデルが減少し、同類婚が増加している。特に所得ピラミッドの頂点で増加している。同類婚は社会を平等化しない)、3)共稼ぎ家族が拡大することにより所得格差が拡大する。これに関連して、子どもに対する親の投資も不平等になる傾向がある。
第3章「家族政策を女性の革命に適応させる」では、女性の革命の成就を加速させるための 新しい家族政策を提唱している。女性の革命に家族政策が対応していないため、多くの先進諸国が緊迫した状態に直面している。母親であることとキャリアとが調和しないと、「低出生均衡」か、「低所得・低就業均衡」がもたらされるとして、本章では特に、出産をめぐるジレンマに焦点が当てられる。現在では、1)国際比較デ-タは、就業率と出生率はプラスの相関関係にあることを明らかにした。2)多くの国で教育年数が短い女性の出生率がより高い傾向が続いているが、スカンジナビア諸国には当てはまらない。ゆえに出生率のカギは、女性の新たな役割と、女性が生涯にわたって雇用に従事することを家族政策がどう支えるかにかかっている、といえるのである。
また、父親の育児参加についても言及していて、女性の革命が未完である理由は、女性のライフコ-スにおける行動がますます「男性化」しているのに、それと平行して男性の側で徹底した「女性化」が進んでこなかったことにもあると指摘する。父親の育児参加は社会のピラミッドの上半分に限定されていること、教育レベルによっても異なることがいくつかのデ-タから明らかにされる。
第4章「子どもに投資しライフチャンスを平等にする」では、社会的相続の重要なメカニズムは就学前の時期にあることがおおむね合意されていること、また就学前の子どもの養育はもっぱら家族環境に依存しているため、その時期の家庭環境に分析の焦点があてられる。「金銭」効果、「時間投資」効果、「学習文化」効果、の3種類の家族効果が考察される。そして3種類のいずれからも、所得と学歴との相関関係が証明される。つまり、貧しい子どもは貧しい親になる確率が高い。ゆえに、0-6歳の就学前児童へ投資をすることが、機会の平等への最も高い効果を生む。具体的には、保育サ-ビスと就学前教育、母親の雇用を継続させる有給の出産休業と1年間の育児休業(他の部分の記述から、エスピン=アンデルセンは、出生後1年以内の子どもが家庭外の保育を受けることは子どもの発達にとって有害となりかねない、と考えているようである。ゆえに育児休業はより重要な政策となる)が必要であると主張する。アメリカの低所得児童のための就学前教育である、ヘッドスタ-ト・プログラムのようなものが他国でも必要であること、また大規模な移民集団を抱えるEU諸国においても、なんらかのアファ-マティブ・アクションの検討が必要であると提唱する。
第5章「高齢化と衡平」では、高齢化によってもたらされる不平等について分析する。世代間の不平等については今までも他の論者によって指摘されてきたが、本書では世代内の不平等についても言及している。例えば、引退年齢の引き上げは、世代間の不平等の是正には有効であるが、世代内の不平等を増幅するかもしれない。なぜならば専門職は肉体労働者より余命が長い傾向があり、余命の短い人にとっては引退年齢の引き上げは不公平となる。このように健康や寿命や障害は富と強い相関関係にあるため、世代内の衡平性をめぐる問題は複雑である。今までの章で見たきたように、今日の若者の間に起こった変化-晩婚化、離婚者、生涯独身者の増加-は、高齢期に貧困に陥るリスクを高くする。経済が知識集約的になっていくにつれて、教育年数が短く認知的スキルが充分に身についていない人々は、低賃金で不安定な雇用に閉じ込められる傾向をいっそう強めていくだろう。決して忘れてならないのは、高齢者の福祉は、彼らのライフコ-スの成果であるということ。良い労働生活を送るために必要とされる条件-特に教育、スキル、能力-は、より高く求められ、そしてこれらが発達するためのタネは、幼少期のきわめて早い時期に蒔かれるのである。だから良き高齢者政策は、赤ちゃんから始まるのである。将来において衡平な老後を実現しようとするならば、子ども期における認知力への刺激と教育達成を、今確実に平等化することである。
3.解題と翻訳について
そして本書の巻末には、監訳者の大沢真理等による、かなり長い解題が付けられている。
解題は、エスピン=アンデルセンの研究についての解説部分と、日本の女性の現状分析に分かれているが、後者がその大部分を占める。前述したように本書は、その分析の対象を北米と北欧諸国に当てているため、日本は分析の対象となってはいない。ゆえに日本における「女性の革命」の進捗度を解題で検証しようというわけである。それらのデ-タ-が明らかにするのは、日本では高学歴女性(4年制大学・大学院卒業)の就業率が特に高くはなく、就業期間が長くもないこと(まず、高学歴女性が少数で、若い層に偏っている)、また離職期間と学歴間の差も大きくはないことである。本書の本文によると、欧米のほとんどの国では、高学歴女性の就業中断はまれであり、中断しても非常に短い。これに対して教育年数が短い女性の間では中断する者が多く、その期間も長いため、学歴間の離職経験の差が顕著であるのだが、そのような状況は日本では起きてはいない。エスピン=アンデルセンは、高学歴女性が既に展開している「革命」に、教育年数の短い女性がいかに加わるかが課題であると論じているのだが、日本では高学歴女性ですらも「革命」には乗り出してはいない状況をデ-タは明らかにする。
では、今後も高学歴女性がキャリアを継続せずに、女性間の格差が広がらないのならば、エスピン=アンデルセンが憂うような社会の不均衡は日本では生じないのだろうか。いや、既に社会の不均衡は深刻化していること、むしろ女性の革命が萌芽的でしかないことが、不均衡を深刻にしていると解題は述べている。エスピン=アンデルセンは福祉国家による所得再分配が子どもの貧困を克服する効果に着目したが、日本の再分配の現状は、むしろ「男性稼ぎ主」型世帯に有利であり、それからの脱却が必要であることを結論づけている。
本書の翻訳に名乗りを上げた、と冒頭に記した。そのため、翻訳や解題には多少厳しい見方になるのかもしれないが、この解題は果たしてあったほうがよかったのだろうか、という疑問が残る。日本の女性の「革命」の進捗度を示すデ-タは、それなりに参考にはなるが、紙幅の関係だろうが中途半端な一部のデ-タの羅列である。別な場で論じた方が良かったのではないか。また、自分の研究の紹介やエスピン=アンデルセンとの校正作業のやりとりは、「自慢話」と受け取られかねないだろう。事実、ネット上のブログでは、「我田引水の解題はないほうがまし」という厳しい批判が書かれている。
書いた人は山形浩生さん、朝日新聞の書評欄で本書の書評を書いた人である。朝日の書評では、解題については「監訳者の解題は、日本女性の低い社会進出状況については詳しいが、本書の議論の核心にほとんど触れず不満」(朝日新聞2011年10月30日)と一言述べられているだけであるが、ブログ上では、「紙幅がなくて一行しか書けなかったけれど、ぼくは本書に対する誤解を招きかねないものとして積極的に批判されるべきだと思う」からはじまって、自分の専門のジェンダ-何とかの話しにつながる話しばかりに終始していること、そんなの解題じゃなくて自分の研究紹介であること等々、長々と批判をしている。つまり、朝日新聞の書評欄には書かなかった(書けなかった?)「裏話」を開陳している。恐ろしい時代になったものである。従来であれば、書評に書くなら書く、書かなければそれまで、であった。友人と「裏話」をすることもあっただろうが、それはその場だけの話しで、公にするものではないはずである。それが公になってしまう時代になったのだ。しかし、ブログで開陳したいほどの批判なら、きちんと朝日の書評で批判するべきだったと思うのだが。
この山形さんの「裏話」にも出てくるのだが、翻訳に関して言えば、書名には異論がある。日本語の書名は『平等と効率の福祉革命-新しい女性の役割』であるが、原題は、前記したようにThe Incomplete Revolution:Adapting to Women’s New Roles,である。英語に忠実に直訳すれば、「不完全な革命-新しい女性の役割に適合させる」である。「不完全な革命が行われているので、新しい女性の役割に適合させるように社会を作り変える必要がある」という意であるはずである。そうであるならば、タイトルを「平等と効率の福祉革命」としたのはともかく、「新しい女性の役割」というサブタイトルは、内容を正しく著していないだけではなく、読者に誤解を与えかねない訳語だと言わざるを得ない。
4.エスピン=アンデルセンとフェミニスト研究
本書の内容について評価をする前に、エスピン=アンデルセンとフェミニスト研究の関わりを振り返っておこう。20世紀最後の10年における福祉国家研究の大きな特徴は、ひとつはエスピン=アンデルセンによる福祉国家類型論であり、いまひとつは、彼の類型論に触発されたかたちで発展した、フェミニスト研究者たちによる福祉国家をめぐる議論であった。そう総括すると、前者には同意するものの、後者については疑問に思う人が多いに違いない。日本においては社会福祉の領域とは、近年になってこそ介護役割や母子世帯問題等の女性の抱える困難が取り上げられるようになったものの、フェミニズムの影響を受けることが少ない領域であることは、評者もたびたび指摘している。エスピン=アンデルセンの福祉国家類型論へのフェミニスト研究者からの批判は日本でも紹介されてはいるが、いずれも2000年以降のことであり、また頻度も少ない。欧米と日本のこのような「差」とは、翻訳による「時差」の反映ともいえるだろう。エスピン=アンデルセンが福祉レジ-ム論の嚆矢となったThe Three Worlds of Welfare Capitalism(Polity Press)を出版したのが1990年。今ではその著書のなかで提起された、自由主義的、保守主義的、社会民主主義的という福祉国家の3類型はよく知られているが、その著書ですら日本で翻訳・出版されたのが2001年であった(『福祉資本主義の3つの世界ー比較福祉国家の理論と動態ー』(岡沢憲芙、宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房)。1990年の著作の出版の直後から多くの研究者が、なかでもフェミニスト研究者からの批判が提出されたのだが、それらが日本で紹介されたのは上述したように2000年以降のことであった。
では、エスピン=アンデルセンの同書は、フェミニスト研究者からどのような批判を受けたのだろうか。キルキーは、エスピン・アンデルセンへのフェミニストからの批判をレビューしているが、それによると批判の論点は、(1)家族の不可視性、(2)脱商品化、(3)階層化、(4)福祉国家の発展、の4点に関するものであり、なかでももっとも本質的な批判は、(4)の脱商品化指標の検討であるとしている。脱商品化の定義とは、「個人あるいは家族が、市場参加の有無にかかわらず、社会的に認められた一定水準の生活を維持することができるその程度」である。つまり、労働能力のない人も含めて、あらゆる個人が労働市場への参加やそこでの労働パフォ-マンスに関係なく、社会的に受容されている生活水準を享受できる状態と規定されている。エスピン=アンデルセンは具体的な作業としては平均的賃金水準に対する公的年金給付の最低水準の比率、平均的な所得に対する年金給付の割合、年金受給資格を得るのに必要な拠出期間、個人によって負担される年金財政部分の比率、年金受給可能人口に対する年金受給人口の割合という5つの指標により、各国の脱商品化度を測定した。つまり、フェミニスト研究者らは、脱商品化論は労働力が既に商品化されている男性労働者を前提にした議論であり、無償の家事労働から脱却して労働市場に参加することが課題となっている女性を埒外に置いた議論であると批判したのだ。
これに対してエスピン・アンデルセンは、フェミニストからの批判を大筋で認めた上で、脱商品化という指標に加えて新たに脱家族化という指標を設定して批判に答えようとした。脱家族化とは、彼の定義によると、「家族の福祉やケアに関する責任が、福祉国家からの給付ないしは市場からの供給によって、緩和される度合い」あるいは「社会政策が女性を自律的に「商品化」し、独立の家計を形成することができる程度」を指し、福祉政策の展開によって主要には女性がいかに介護・育児負担を軽減され、自律の基盤を獲得しているかを計る指標である。
一方でフェミニスト研究者たちは1990年代に入ると、これらの批判を踏まえて、ジェンダ-を考慮した指標や新たなコンセプトを使用することにより、福祉国家の新たな類型化を行うことに着手する。それらの代表的な研究として、ジェーン・ルイスの「男性稼ぎ手モデル」、ダイアン・サインスベリの「個人モデル」をあげておこう。このような福祉国家研究の潮流(エスピン=アンデルセンのフェミニスト研究者の批判に答えた修正や、フェミニスト研究者による新たな福祉国家類型論を含めて)は、フェミニスト研究者によって「福祉国家研究のジェンダー化-福祉国家の分析のなかにジェンダ-を持ち込むこと」と名付けられ、福祉国家研究の大きな潮流となったのである。
5.本書の特徴と日本の課題
さて、本書の内容に戻りたい。「2.本書の内容」で多少詳細に触れたように、本書のテ-マは、欧米諸国で20-30年前から進行してきた女性の役割の「革命」とその影響についてである。「革命」とは、女性が主として家事や育児に関わるのではなく、生涯を通じて職業に従事し、経済的に自律するという役割の変化をさす。その革命の進行は国によって差があるが、1国内でも社会階層、とりわけ教育年数によって差が出ている。すなわち、高学歴層の女性の人生は職業を中心とするようになるという意味で「男性化」し、また男性は子どもや家庭に多く関わるようになるという意味「女性化」し、ジェンダ-平等に近づいている。一方、教育年数の短い人々の間では、性別分業が依然として強く、従来型の役割が踏襲されがちである。本書の原題に「未完の革命」とあるのは、高学歴層ではジェンダ-平等化しているが、教育年数の低い層ではそういう変化が少ない、ということを意味している。
著者が懸念するのは、革命が未完であることにより、社会に深刻な不均衡が生ずるからである。そのような社会の2極化を防ぐためには、福祉国家が女性の役割の変化に適合する必要があると主張する。各国の最新のかつ詳細なデ-タに裏打ちされたこのような分析と提言は、十分な説得力を持つ。本書が高い評価を受けているゆえんである。
本書の高い評価については他の書評でも述べられているので、ここでは本書の特徴-あるいは効果と言っても良いかもしれない-について3点述べることにとどめよう。 まず一つは、本書は『福祉資本主義の3つの世界ー比較福祉国家の理論と動態ー』以来ずっと継続して展開されてきた、比較福祉国家論(あるいはそれ以後の著作で展開されてきた「福祉レジ-ム論」)の議論を展開したものではないということ。従来議論が集中した、「脱家族化」についても改めて説明もなく、追加や補足の議論もない。今までの議論を知らずに本書だけを読んだのではわかりにくいだろう(ゆえに解題でその議論の経過を説明しているぐらいである)。つまり本書は、そして『アンデルセン、福祉を語る』もそうであったが、前著等で展開した比較福祉国家論や比較資本主義の議論を一歩進めたものではない。社会や家族の内部で進行している変化-女性の役割の変化-を切り口として、最新の経済学や社会学の実証研究を取り入れて福祉国家のあり方を分析し、政策を提言したきわめて実践的な書なのである。その主な理由として、女性の革命が展開する方向にとって政策が重要であると認識するようなったことを、エスピン=アンデルセン自身が述べている。エスピン=アンデルセンの新しい福祉国家研究の手法と段階を示したものといえるだろう。
二つ目の特徴は、より明確にジェンダ-視点を取り入れたということ。「4.エスピン=アンデルセンとフェミニスト研究」でも記述したように、エスピン=アンデルセンは『福祉資本主義の3つの世界ー比較福祉国家の理論と動態ー』出版後に受けたフェミニスト研究者たちの批判を積極的に取り入れており、いわばプロ・フェミニストといえると思うのだが、女性の変化に焦点をあて、それに社会の変革の原因と趨勢を求めている今回の研究手法は、よりその立場を鮮明にしている。「女性の役割の変化」という「事実」があるからこそなのではあるが、このようなエスピン=アンデルセンの主張は、ジェンダ-視点が重要であるというフェミニストの主張の後押となるに違いない。特にそのような研究視角を取り入れることに遅い日本においては、「エスピン=アンデルセン効果」とでもいうものが期待できるかもしれない。一例をあげれば、本書のデ-タとして女性就業率と出生率のプラスの相関が示されているが、日本においてはその有効性とデ-タの根拠ついては未だ議論の最中にある。議論のための議論ではなく、その先の政策をめぐる議論に進む契機になるかもしれない。
最後の効果は、日本における「女性の役割の革命」について考察する契機になるということ。既述したように、本書には日本のことにはまったく言及されていないし、著者による「日本語版へのあとがき」といったものも付されていない。ゆえに本書を読んだ日本の読者の勝手な思いではあるのだが、本書でエスピン=アンデルセンが提唱する、「ジェンダ-平等な福祉国家政策」の日本版を検討する機会になるということである。
解題で示されているデ-タを見ても(あるいはデ-タなんか見なくても)、本書で示されている国々と比べて日本の女性の就業率がきわめて低いことは明らかである。一方では、他国に生じているような不均衡は私たちの周りにいくらでも見つけることができる。出生率は低下し続け、貧困な子どもが増加し、高齢者の生活は2極化しつつある。本書に書かれている、革命が未完であればある分だけ、その結果としてもたらされる不平等が大きいということの究極の証明のような日本の現実がある。
本書に取り上げられた他国と比べても、日本が一定のパタ-ンに収まらない独特な国であることは明らかである。エスピン=アンデルセンに端を発した比較福祉国家論の議論でも、日本が「独特な福祉国家」であることは、多くの論者によって指摘されている。日本の福祉国家がどの類型に属するかという議論もさまざまである。社会保障支出の程度や社会保険プログラムの特徴からすると、ティトマスの分類でいえば産業的業績達成モデル、エスピン・アンデルセンの福祉国家レジ-ム論でいえばコ-ポラティズム/保守主義レジュ-ムとして位置づけられるだろう。しかし、公的扶助の給付に伴うスティグマの程度などの社会的市民権の指標からすると、また、女性の労働市場への参加の程度、社会保障制度が男性を扶養者・女性を被扶養者とする家族モデルにどの程度依拠しているかなどのジェンダ-的指標からすると、むしろ残余的モデルや自由主義レジュ-ムに近い群に位置すると指摘する論者もいる。つまり、日本が「独特な福祉国家」である理由は、ジェンダー側面とおおいにかかわっている。それであるならば、本書が主張する、「ジェンダ-平等な福祉国家」とは、日本にとってはより重要な指標となるはずである。
<参考文献>
山形浩生「朝日新聞書評」朝日新聞 2011年10月30日
山形浩生のブログ「経済のトリセツ」(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120202/1328144396)金井郁「書評」『社会福祉研究』第115号、
四方理人「書評」『社会政策』第4巻第2号
エスピン=アンデルセン著『アンデルセン、福祉を語る-女性・子ども・高齢者』(京極高宣監修、林昌宏訳、NTT出版、2008年)
メリ-・デイリ-、キャサリン・レイク著『ジェンダ-と福祉国家:欧米におけるケア・労働・福祉』(杉本貴代栄監訳、ミネルヴァ書房、2009年)
キルキー、マジェラー『雇用労働とケアのはざまで:20カ国母子ひとり親政策の国際比較』(渡辺千壽子監訳、ミネルヴァ書房、2005年)
<「中部社会福祉学研究第4号」2013年3月発行>